
質問 (2010/09/05)
ベストアンサーに選ばれた回答
ベストアンサーはありません
質問 (2010/08/30)
ベストアンサーに選ばれた回答
無理です。諦めましょう
質問 (2010/08/26)
ベストアンサーに選ばれた回答
僧侶の方が葬儀や戒名、塔婆などを解説されています。参考にして下さい。塔婆とは、インド・中国では仏塔や建造物故人のために「板塔婆」を立てて供養するというのは、仏教本来の教えではありません。日本人特有の社会習俗です。 歴史的には、まずインドに仏塔信仰がありました。経典には、釈尊が入滅して遺骨が8カ所に分けられ、それぞれに塔が建てられたとされています。塔の成立と変遷については、諸説がありますが、やがて、釈尊の遺骨の塔(仏舎利塔)だけでなく経を埋納する経塔などが造られ、一つの信仰のシンボルとして、各地に建つようになったことは間違いありません。 この仏塔の形が今度は、中国へ渡って、発達した木造建築の影響もあって五重の塔のような楼閣(ろうかく)に変わっていったのです。この場合、むしろ、仏塔信仰というよりも仏教寺院を象徴する建造物として建立されるようになったもので、各地に、五重、三重の塔が建ち並びました。 この建造物としての仏塔が、さらに、日本においては供養塔としての意味に変質していき、形も変形し小型化していきました。これらはもっぱら、仏塔でも寺院建造物でもなく、先祖の追善に用いられ、墓所に立てられるようになってきたのです。大きさも、建造物をミニチュアにしたところから出発し、最初は石塔でしたが、やがて木を用いるようになって、角塔婆や、さらには、これを略した板塔婆(平塔婆)が用いられていったのです。 今日の板塔婆は、地水火風空の五大を意味している五輪を形どったものとして、全体が五つにくびれています。これは五輪塔の名残です。したがって歴史的にみても、信仰の対象となる仏塔と、死者のために追善供養として立てる塔婆とは、まったく別のものです。 日蓮大聖人が御書全集のなかで、広い意味で「塔婆」について言及されているものは八編を数えます。しかし、内容を見れば、まず、仏法上の意義というよりも、インドや日本の習俗として塔婆に言及したものが大半です。例えば、インドで仏塔(ストゥーパ)を破壊した話(「顕謗法抄」)とか、権教を破折するために、大地微塵(みじん)の塔婆(仏塔)を建てても法華経誹謗の罪は消えないと御指南されたり(「善無畏抄」)、率塔婆を建てた過去の故事(「上野殿御返事」)などが説かれています。 http://www.nichiren.com/jp/special_topic/special_topic05/st05_3.html
質問 (2010/08/20)
ベストアンサーに選ばれた回答
私は日本のことわざだと思いますが…。英語では、同じ意味の言葉として「羊毛を刈りに行って剥ぎ取られる」というのがあるので、英語を使う国から来た諺ではないと思います。外国語のカテゴリで聞いてみると良いかもしれません。
質問 (2010/08/17)
ベストアンサーに選ばれた回答
モスバーガーの面接は順調ですか?
質問 (2010/08/12)
ベストアンサーに選ばれた回答
「ヨセフは父(ヤコブ)の顔に取りすがって泣き、父に口づけした。ヨセフは彼のしもべである医者たちに、父をミイラにするように命じたので、医者たちはイスラエルをミイラにした。そのために四十日を要した。ミイラにするにはこれだけの日数が必要だった。エジプトは彼のために七十日間、泣き悲しんだ。」(創世記50・1-3)はい、ミイラにされています。即身仏とは違い、断食して生きたままミイラ化したのではなく、死後ミイラにされていますね。ミイラで有名な古代エジプトには復活信仰がありましたが、「復活のときにタマシイが入るためのカラダをちゃんと取っておかないと困る」と考えていたためです。ヤコブらもこの風習に影響されたのでしょうか。なお、ヤコブの息子ヨセフもミイラになっています。「ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた。」(創世記50・26)腐らない聖人たち、結構いますよね。彼らは人為的に処置されたのではなく、自然に条件が整ってミイラ化あるいは死蝋化知るらしいです。不思議ですね・・・
質問 (2010/08/10)
ベストアンサーに選ばれた回答
真言宗の密教系の門弟となることをオススメします。ただ、即身成仏になるには、お経を絶えず唱えていなければなりません。そのため、徳の高い(志の高い)人しか成れません。また、今の日本の法律では、遺体は火葬にしないとならないため、鳥葬、自然葬の唯一許可の下りている、鳥取の孤島だったかな・・・?へ行って、成仏しないとなりません。 もちろん、ここは無人島です。
質問 (2010/08/08)
ベストアンサーに選ばれた回答
いろいろな回答が出ていますね。分かる範囲でお答えします。1、年金は返すのか? 年金は、搾取した場合、時効が5年ですから、5年前から最終受け取り分までが返納しなければなりません。それ以前は返さなくても良いし、年金機構が返納を申し出られません。(変な法律ですネ)真に残念ながら、5年前より以前の分は、親族が自由に使えます。2、立派な殺人・・そう思いたくもなる事案ですが、警察では、殺人や殺人教唆、自殺幇助、死体遺棄等で処理することは困難でしょう。3、、『即身成仏する』と言われて放っておく家族がいますか? まともな家族では、絶対にありえませんよね。言うことを聞いてもらえないのであれば、家族で相談して施設に入れるとか、普通考えるでしょう。この家族は、人それぞれで言い分がだいぶ違います。溜まっていた年金を引き出して、銀行の貸し金庫に入れたとか、30年前に頭蓋骨は見えていたとか、おじいさんの念力で襖が開いたとか、何か特殊な宗教にでも操られているような、不思議な、理解しがたい家族です。だから30年以上、ほったらかしにしていたのでしょうね。理屈から言えば、立派に自殺に関与していると思いますが・・それも時効の壁で・・罪には問えません。 質問者様が感じているように、世の中のまともな人たちが、まったく持って納得できない事件だと思います。
質問 (2010/08/08)
ベストアンサーに選ばれた回答
浄土真宗ですので、即身成仏はありません。即身成仏は主に真言宗、天台宗(日蓮宗や禅宗系でも一部言いますが)でいうものです。人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き仏になることですので、限りなく死に近接した出家者の修行で言われることなので、在家仏教である浄土真宗では即身成仏などありえない凡夫の身で生きている自覚の上での阿弥陀仏の救いですので、まったく異なります。おそらく、「即得往生」や「往生浄土」と混同しているのだと思いますが、即得往生は、阿弥陀如来の本願力により賜わる信心を受け阿弥陀さまにお任せし、また支えられで現生をお念仏をいただいて生きぬけば、浄土という阿弥陀仏の仏国土に往生することが定まった身となり(現生正定聚・現生不退)、成仏の道筋が定まるとでも、簡単には言えると思います(教義上厳密な解説は書ききれません。)。葬儀も初七日~四十九日、百か日、一周忌~の年回法要は、確かに他宗派のような「追善供養」という意味合いの供養は必要がありません。例えば、山登りを成仏道に喩えた場合、崖を一人で登っている者(故人)には、定期的に遺族が「ガンバレ!」と声をかけてあげないと落ちちゃいますよとでもなるでしょうから、遺族の追善という供養が行われます。一方、みんなで一緒に仏さまの運転するバスに乗せてもらって、あとは仏さまの運転にお任せしそのまま山を登る場合はどうでしょう?この場合には、このことに、仏さまに感謝するという行為が中心の供養が行われます。浄土真宗の場合、仏さまのバスに乗る身に定まりそのバスに乗せてもらうので安心なのですが、かと言って何もしないのではないのです。私たちの宗派・浄土真宗は「追善供養」はいたしませんが、今お浄土で仏となられた方のお徳を偲び、故人もそしてこの私をもすくわんがためにはたらきつづけてくださる阿弥陀さまを褒め称え、仏徳讃嘆、ご恩報謝の営みとして讃嘆供養という形で法要を行うのです。つまり、浄土真宗においては追善供養ではなく、どこまでも知恩報徳であり、報恩の仏事なのです。そして間違えてもらうと困るのは、単に浄土真宗は亡くなったらその故人は仏になることになっているということでは必ずしも無いのです。もちろん他宗のように亡くなったら必ず亡者ということではありませんが、浄土真宗なら亡くなったら仏だというような単純なことでもありません。そうではなく、亡くなった方が私にとって諸仏だと言えることは、亡くなった方から私のいのち・生の全体が問い詰められ、それがこの私をご本願という教えとすくいに出会うご縁となり、その縁があるときにはじめて亡くなった方が諸仏言えるようになるのです。また、浄土真宗は聴聞といって「聞く」ということを大切にします。阿弥陀仏のご本願である南無阿弥陀仏のおいわれを聞くのですが、亡き方が阿弥陀仏を通して、阿弥陀仏と一体になって私に伝える仏法を聞かせていただくのです。ですから、浄土真宗のご法事は読経もしますが実は法話が中心です。その法話というお話を聞くために、寺院に詣で、又は自宅に僧侶を招いてご法事をお勤めするのです。もちろん、まったく別の意味合いで、みんなで自分たちのお寺の維持費を出し合うという側面は、宗派に関係なく共通であります。
質問 (2010/08/05)
ベストアンサーに選ばれた回答
人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き仏になること。天台宗・真言宗・日蓮宗などで説く。と広辞苑にありました。